高頭なおの日記です。


by nao-takatoh
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智恵子抄。


港区虎ノ門にある「菊池寛実(かんじつ)記念・智(とも)美術館」。
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7月11日まで行われているのが「智恵子抄 高村光太郎と智恵子 その愛」。
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光太郎(本名は みつたろうと読みます)の詞は、学校の教科書に載っていましたよね。

でも今、歳を重ねてから読んだ智恵子抄は、詩集を閉じた時にいろいろな事を考える機会に
なりました。

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福島県出身の智恵子は、日本女子大を卒業した後、約束していた故郷に帰らず、
「絵画の勉強がしたいから」と、親を説得して東京にいることに。

そして、知り合いの紹介で光太郎と出会ったんだそう。

その頃、智恵子の故郷では縁談があったらしいのですが、2人の思いは強く結ばれたのですね。

のちに、1914年・・・光太郎31歳、智恵子28歳で生活を共にするようになりました。

披露宴はしたものの、智恵子が籍を入れたのは、ずっと後のことだったんだそうです。

45歳を過ぎた頃から、家の没落・父の死・自分の芸術性との葛藤などが重なって、精神を
患う様になります。

49歳で入院。

病室に光太郎がお土産の千代紙を持っていくと、智恵子はたいそう喜んで鶴を折るところから
始めました。

爪を手入れするような小さなハサミで その千代紙を切り、素晴らしい作品の数々に光太郎は
驚いたんですね。

お医者さんや看護婦さんなど、他人には一切見せず、ただひたすら光太郎に見せたいが為だけに
智恵子は52歳で亡くなるまでに千数百点もの切り絵を光太郎にプレゼントし続けたそうです。




私が訪れた「菊池寛実記念・智美術館」では、その切り紙が展示されています。

ただ、70年を超える月日のため、作品が脆弱(ぜいじゃく)・・・もろくなっているということで、
光太郎の甥である写真家・高村規(ただし)氏が、写真という手法で再現しています。

でもですね、飾られていた作品は「写真」には見えなかったんです。

紙の質、折り皺、立体感・・・切った紙そのものだったんです。
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非常に繊細で浮くしい曲線の柄があれば、素朴なリアルさが印象的な果物や花・・・
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写真とは思えない復元でした。

実際に見ると、その切り紙の線が細かいんです!

その場を動きたくなくなるほど、見入ってしまう素晴らしさでした。



今回、100点の展示を1度にするのは困難・・・ということで、数回に分けて模様替えがされています。

6月7日、22日に また展示替えがあります。

そして、学芸員さんによるギャラリートークは、その時代の2人を垣間見ることができる、貴重な
お話です。

そのギャラリートークのスケジュールなど、是非美術館のホームページをご覧になってくださいね。



智恵子に愛を告げる詞から、亡くなって10年を経てもその思いが変わらぬ様をしたためた、
智恵子抄。

智恵子の精神が患っていくのを見る光太郎の心の痛みが、今まさに共感でき、その背景を
思い浮かべながら鮮やかな切り紙を見ていたら、愛し・愛されることの強さを感じずには
いられませんでした。

亡くなる数時間前に、光太郎が病室に持っていったレモンを手にした智恵子の輝く表情が
果物の切り紙を見ていたら目に浮かぶようで、胸がいっぱいになりました。。。

「レモン哀歌」。

この詞も、光太郎の字によって展示されています。

2人がやりとりをしたラブレターも、見ることができます。

もちろん、彫刻家・評論家・画家・詩人としての光太郎の作品も、智恵子の作品に寄り添うかの
ように飾られています。

人や動物の像は、まるで今にも動き出しそうでした。




この智美術館もですね、落ち着きましたね。

周りの環境も静かながら、凛とした存在感なのに不思議と居心地のよい隠れ家みたいな
ところです。
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開催期間が長いので、是非お出かけくださいね。



ちなみに、図録からの切り紙の写真記載は、高村家の了解をいただいております。
by nao-takatoh | 2010-05-26 17:09